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2014年7月6日日曜日

わたしは以前、野生のカモシカだった




1 

わたしは以前、野生のカモシカだった。
水飲み場でみんなで仲良く水を啜っていた。
そのとき、人間の王女に飼われているライオンがきた。
ライオンは仲間に入れてもらおうと水飲み場に顔を近づけた。
わたしも皆もおどろき、逃げまどった。

2 

わたしは王宮で暮すライオンをうらやましく思うようになった。
あるとき、人間の兵士が水飲み場にきたとき、人間についていこうと考えた。兵士はわたしをつれて行こうとしたが、わたしは後ろ足で砂を兵士の顔にかけた。私は逃げた。
人間が扱う炎もわたしにはこわかった。

3 

人間の生活がいやなら文明から逃げて野生に帰るしかない。
人に心配をかけて喜んでいるようなものを誰も自由にさせておけない。
縛られ、繋がれるのである。それも嫌なら野生に帰るしかない。
人に怒られるのを喜んで後ろ足で砂をかけるようなものを誰も喜ばない。
自立してない人間は教育される。人に上から物を言われる。自立していないものは人に甘える。それでいて叱られるのを、心の中で嘲笑うものは野生に帰るしかない。自立した者は自分で考えるが、責任は自分に降りかかる。

4 

愛されたいと願いながら、快楽をむさぼろうとする。
野生の動物はそれで何も悪いことはない。
食べて、寝て、本能の欲に従うのが仕事。
人は、人間らしくなるほどに動物の苦しみから解放されてゆくが、人間としての苦しみを味わい成長しなければいけない。
苦しいという人は動物の苦しさにあえぐ。
人としての苦しみは感謝の気持ちとともにある。



プロメテウスの火 ―ギリシア神話とメソポタミア神話のあいだ風に―


あなたは、愛の炎に薪をくべず、砂をかけて必死に消そうとした。
愛の炎をつかいこなすには、自分が人間としての苦悩をうけいれることだから。ひととしての心が焦げるから。傷つけられるから。動物としての我儘を控えなければならないから。
燃えていた愛の炎は消えてしまった。
あなたが必死に消したから。

文明の炎をうけいれた人たちには、文明の光と道具と酒と宴。
都市と国家も栄える。
文明の力でふたたび、みたび、楽園に近くなる。
人のため家族のため骨を折るのを苦にしない。

文明の炎を消す人は
人としての心が無傷だから…
人の痛みが分かるほど傷ついた人は、人をいたわるから…










聖書など旧約は、あまり読んだことのない人の想像と違い、説教が並んでいるのかと思いきや、
史実や物語であり、新約聖書のイエスにしてもたとえ話などが多く、実際は小うるさい説教などあまりならんでないともいえる。
この上にあげた文は辛気臭い、いかにも古代の宗教、あるいは神話ふうの説教で、耳が痛くなりそうな文であろうか?棺から出てきたぶどう酒の瓶が、防腐剤もきかなくなり酢になっている…
そんな化石のような説教なのかもしれない。


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