ページビューメ-ター

2013年9月26日木曜日

パァンとサアカス 第四部

パァンとサアカス 第四部



そしてストーリーは異世界へ





1


病気で熱をだし、ベットに倒れ伏しているヘクトリューシャはだいぶ前の舞踏会の時のことを思い出していた。あのとき、ルターリャはきたが、ピョートルはいなかった。ピョートル・イアアはヘクトリューシャの又従兄弟(またいとこ)で幼馴染である。ニコライは、「僕は社交界は嫌いだ」といって決して来ない。
ヘクトリューシャが40歳になるかならないかの男性にダンスを申し込まれた時のことだった。ヘクトリューシャは「グラスにシャンパンがまだ残ってますので」と、適当な返事をして断った。相手の男は悪態をついた。ルターリャが飛んできて表向き紳士な対応で応対した。ピョートルもニコライもルターリャがいうように“へたれ”かもしれない。しかし、こんな幼稚なことで腹を立てたり悪態をついたりしない。ルターリャがいった。「ああいうふうに我慢が出行きてない連中はトイレットトレーニングがなっていないんだ。我慢が出来ず、すぐ悪態をこぼす。ストレスをため込むということがないものだから、芝居をみても、本を読んでも、音楽を聴いても、スポーツをしても、風呂にはいっても、ワインを飲んでも、何をしても楽しくないがはじまる。ストレスはスパイスであり、スパイスがない人生は、どんな楽しみも味気ないということを知らない。金持ちのボンクラ三代目かよっぽどの貧乏人に多い」
**** ****
トイレットトレーニングといえば、思えば、イワン・タリャーゴフはまあ、普通だと思うが、パミラ・ミミトンはなんともヘクトリューシャには推測しにくいものがある。不可思議なものを感じる。エスーフエルフ・マロマデシャはタヌキだが、いろいろなことに飽きて退屈しのぎを探すことには労力を厭わない。人生に慣れて、ストレスを感じることなく生きられるが、そのかわり、楽しみに事欠くようになってしまっている。ソルコリギター・ソリィコギッチまでいくと、トイレットトレーニングのしすぎなのか、「狂人主義」とか、無茶なことを言い出している。恐らく日本の“サムライ”を何かで知って独自解釈にふけっているのだろう。


2


イギリス ――――
チャールズ(29)は暖炉にまきをくべ、かきまわし、安楽椅子に腰かけた。
「さあ、エマ。『パァンとサアカス』を読んでくれ」
ソファに腰かけたエマ(30)は途中まで読んだ『パァンとサアカス』の続きを読み始める。
チャールズはシェリー酒を飲みながら、考えた。そういえばヘクトリューシャが病気になって、みんなで助けるために冒険の旅に出るんだったな。


ドイツ ―――――
「トニー!まだ、おきているの?もう寝なさい」
『パァンとサアカス』を夢中で読んでいたトニーは本を閉じると続きは明日読もうと机の上に本を置いた。ベットに入ると、夢の中にサアカスの連中が現れ踊っていた。次の日の朝。
「グーテンモルゲン!トニー!おきなさい!」



3


ルターリャは馬車で屋敷に訪れたエスーフエルフ・マロマデシャを迎えに行った。「マロマデシャ先生、ヘクトリューシャはかなりひどい熱で、うなされながら寝ています」「あー。わかりました。最善は尽くすが…とっておきの強壮剤の水薬がダメならその時は――あーどうするか?」長い廊下をあるきながら二人は話した。「私にはヘクトリューシャと同じ年の娘がいる。正確には私の娘ではなく、妻の前の夫との娘だ。私の妻は再婚で私は初婚…」「先生!こっちの階段を上です」「あー、立派な壺だ。壊すと高い?私と妻には子供が生まれなかった。娘は今では医者と結婚して子供がいる。いや、オーケストラの指揮者だったか!?いや勤務医だ、彼は」「先生この部屋です。どうぞ中に…」
エスーフエルフ・マロマデシャはベットでうなされているヘクトリューシャをみるとこういった。
「ご両親とピョートル君を呼びなさい、今すぐにだ。医者じゃなくても分かる。ヘクトリューシャの生命の灯火は消えかかっている。自慢の強壮剤を使っても時間稼ぎだなこりゃ」「そんな!ヘクトリューシャ…先生なんとかならないんですか!?」「まちなさい、今、水薬を」エスーフエルフ・マロマデシャはさじで水薬をすくってヘクトリューシャの口に運ぶ。
ピョートル・イアアとレイチェルモンド卿はヘクトリューシャの枕もとに立ち、エスーフエルフ・マロマデシャは脈をとる。医者は口を開いた。「うん、強壮剤がよく効いたようだ。しかし、もってあと一か月だ。こればかりはどうしようもない」ピョートル・イアアはいった。「…あの、キエフの不思議な屋敷だ。あの屋敷の主人なら、シナかペルシアの魔法の薬を持っているかもしれない!」ルターリャはいった。「ああ!あの不思議なランプの!キエフのおみやげのー」「あのランプはどうしたルターリャ!?どうしたんだ?」「あれは3回使って何も出なくなったけど…」


4


パミラ・ミミトンの店にいったん立ち寄ると、修行帰りのイワン・タリャーゴフがいた。「この刀はもう自分には必要なくなった。返すよピョートル・イアア」「私のじゃないが…」ソルコリギター・ソリィコギッチがいった。「それは私のだ。キエフの不思議な屋敷で修業の成果が思う存分楽しめる」
こうして、ピョートル・イアア、パミラ・ミミトン、イワン・タリャーゴフ、ソルコリギター・ソリィコギッチ、エスーフエルフ・マロマデシャの5人はキエフの不思議な屋敷に向かった。



5


キエフの不思議な屋敷の老人はロシア語でいった。「ピョートル・イアア、この扉を開けたらもう戻ってこれないかもしれないぞ」「この扉の先はシナかペルシアか」両脇の外国人女性は鍵をもっているひとと、長い槍を持っている人の二人だった。一行に両方無言で渡すと、パミラ・ミミトンが扉の鍵を開けた。

6


気がつくと、5人とも牢屋の中だった。すぐにだされ、それぞれ個室を与えられた。中央の広間はベンチが置いてあり、教室のようになっている。外に出るドアはカギがかかっている。5人は数学、ロシア語、哲学、きいたことのないムー帝国の歴史を勉強させられた。ソルコリギター・ソリィコギッチは「こんなことなら、傭兵として戦闘に参加させられたほうがましだ」といった。成績は、ピョートル・イアアとパミラ・ミミトンが上位で、次がエスーフエルフ・マロマデシャ、さらにソルコリギター・ソリィコギッチで最下位がイワン・タリャーゴフだった。パミラ・ミミトンがイワンにいった。「この成績じゃモスクワ大学なんて無理だよ、あきらめたほうがいい」ソルコリギター・ソリィコギッチでさえいった「現役高校生がこの成績じゃまずい。夜遊びのしすぎだ。元の世界に帰ったら学校に戻れ」
教師がドアから入ってきて授業をする。終わると出て行って鍵を閉める。
授業を受けて、自分の部屋で寝る毎日だった。ピョートル・イアアが怒鳴った。「違う!薬を手にいれに来たのに、こんなところで勉強していても仕方がない。しかも、この槍は何のために渡されたんだ?戦闘のためか!」




7


ピョートル・イアアは教師にロシア語でいった。「ヘクトリューシャを助けるために来たんだがここから出してくれ」教師は答えた。「そんなことをいわれても、授業をしろと言われているだけで、部外者はムー帝国の掟ではこう扱うのが適切で親切だと…」ピョートル・イアアはいった。「親切はわかるが病人がいるんだ」パミラ・ミミトンがいった。「試験に合格すると出られるとか?」ソルコリギター・ソリィコギッチはいった。「戦闘の訓練はないのか?腕試しがしたい」教師は上司にきいておくとだけいった。
3週間くらい経ったような気がする。
「まずい。ここのお茶はこれしか種類がない」ピョートル・イアアはいらだっていた。「娯楽といえばお茶と教科書しかないわよ。あきてきたわよ」パミラ・ミミトンがいう。「監獄に限りなく近い」ソルコリギター・ソリィコギッチはいった。エスーフエルフ・マロマデシャは今日八杯めになるお茶を飲んでいった。「やりきれん。教師を襲ってかぎを奪うか?」ピョートル・イアアはいう。「話し合いでは埒が明かん。いつまでたっても、申し込んだ書類が上で処理されないしか言わん」イワン・タリャーゴフがいう。「修行で会得した能力…」彼はお茶以外のもう一つの娯楽、壁に一つだけかかっている絵をみた。ボートが海に浮かんでいる。海の水がどんどんあふれ、ボートが絵から飛び出してきた。5人はそれに乗ると、絵がトンネルとなり個室と教室の白い建物を抜け出せた。
津波がおこり5人はバラバラにそれぞれの岸についた。







8 エスーフエルフ・マロマデシャの話



マロマデシャは気がつくとベットに寝ていた。真っ白な壁。さっきの建物に連れ戻され、介抱されていた。看護人は、無茶をするから溺れるんだといって、他の4人が迎えに来るまであなたはここでくらさなければならないと告げられた。それはおそらく10年後くらいになるだろうと。(そんな…お茶と絵がひとつだけと教科書しかない白い部屋で10年も…サアカスが欲しい。他の4人はどこに流れ着いたんだろう)
11年、この世界ではそれだけ時間がたっても、ヘクトリューシャのいるロシアでは1分もたっていないのだろう。しかし、エスーフエルフ・マロマデシャは年もとらず11年ここで過ごした。お茶を飲み、絵を飽きるまで眺め。(絵は11年間同じものだった)授業は休講のみ(人数が一人に減った)教科書を読み。とある日、エスーフエルフ・マロマデシャはいつもと同じように、お茶をカップに淹れ、机に座り教科書を開いた。ドアが開き、あの4人が立っている。あのときと同じ年恰好で。エスーフエルフ・マロマデシャは教科書を放り出し、カップを机に置いて、立ち上がった。

9 パミラ・ミミトンの話


パミラ・ミミトンは気がつくと豪華な寝台に寝ていた。海辺に気を失い倒れていたところを“炎の女王”が助けてくれた。炎の女王はミミトンの体がよくなると、自分の仕事を手伝わせた。裁判を下すのがパミラ・ミミトンの仕事となる。毎日、大勢の人が争いごとや相談事を持ちこんでくる。パミラ・ミミトンの個人の裁量で裁きを下し、判断しかねるとき、炎の女王に相談する。パミラ・ミミトンは気がつくとこの仕事を10年間もやっていた。給金ももらえた。液体のお金がこの国の通貨でガラスの瓶にメモリがあり液体のお金を入れる。買い物の時は目盛りで液の量を測ってやりとりした。パミラ・ミミトンはかなり金持だった。年は10年たってもとらなかった。休日もあった。話し相手と言えば、炎の女王か相談を持ってくる人々だけだった。自分が買い物をするときは店の人と話すが全員女性で決まり切った挨拶しかしない。不思議な世界だった。

10 イワン・タリャーゴフの話


(ああ、イーストでふくらませたパンが食べたい)イワン・タリャーゴフは階段状に道路と商店や民家が螺旋に並んだ巨大な塔に住んでいた。液体のお金が一か月ごとに振り込まれる。時々、階段道路の修理の仕事に引っ張られる。店にはイーストを使わないパンしか売っていない。イワンの部屋は塔の中間くらいの高さに感じられたが、正確にはわからない。ムー皇帝が頂上に住んでいるという。ムー帝国の主なら、ヘクトリューシャの病気を治す薬をくれるかもしれないという。(階段を上るか?)しかし、階段を上ると、階段道路で夜寝ることになる。勝手に人の部屋には住めない。しかたなくイワン・タリャーゴフは自分の部屋に7年の間暮らした。
ある日、およそ4年目の暮らしの時だったと思う。イワン・タリャーゴフの描いた絵が表彰されることになり、数螺旋下にある大会場であいさつをおこなうことになった。人が大勢集まっている。壇上で緊張し、イワンは舞い上がった。(こういうときは一人一人をナスだと思い、≪なろう、なめんなよ!≫と念じる。うん、ここまで恥ずかしい思考を考えると不思議と落ち着く。人間の心理だ)
イワンは講演で適当なことをしゃべり、拍手がおこる。
そして、またいつもの生活に戻った。


11 ピョートル・イアアの話


イワンと同じ塔の最上階に近い部分にピョートル・イアアはいた。ムー皇帝に謁見の許可をもらい、それが3日後となった。与えられた仮の自室でピョートル・イアアは役人にいった。「ムー皇帝は話せばわかる。ばらばらになった仲間のこと、ヘクトリューシャの病気のこと」
謁見の時がきた、ピョートル・イアアはすべてを話し、ムー皇帝に協力を願った。皇帝が答えて言うには、「協力の願いを聞き入れるいかなる根拠も見つからない。ただ、お願いしますというだけで、特別扱いを認めるわけにいかない。虫がよすぎる。おまえはただ、お願いしただけで人に言うことをきかせられるほど偉いのか?たとえ税金を使うにしても、なぜおまえを国民の中から優遇しなくてはいけないのか。おまえを優遇するだけのことを、おまえはムー帝国のために何かしたのか?」
ピョートル・イアアは自室に下がった。
「確かに頭を下げただけで虫がよすぎた。ロシアだろうと、この不思議な国だろうと、人々は誰でも問題を抱えて生きている。それなのに僕だけ手助けをもとめるいかなる理由もない。皇帝のいうとおり協力してもらうに見合う働きをしよう!」
役人は砂漠の街で砂漠の魔人が暴れていることを話し、それを退治することが解決の近道だといった。そして、あなたに面会にきているものがいるという。ドアを開けて入ってきたのはソルコリギター・ソリィコギッチだった。手には新しい刀をもっている。「砂漠の魔人を倒しに行こう、ピョートル・イアア。フリーで税金を動かせるほどいつからお前は偉くなった?」
役人はピョートル・イアアの持っている槍を聖なる槍だという。



12


ソルコリギター・ソリィコギッチとピョートル・イアアは階段道路を下りて行った。
「その剣はどこで手に入れたんだ、ソリィコギッチ?」ピョートルは尋ねた。「よくある話だ。一つ目の巨人の脳天をボロボロの日本刀でかち割った。すると喜んだ市民がこの刀をくれたんだ。あの巨人は人喰いだった」
永遠に続くかのような長い階段道路を下りていく。ふたりはときどき休憩をとりながら一日歩いた。
そしてすぐに夜になった。「ホテルはないのか?ここの国では」ピョートル・イアアがいった。「ない。民家や商店におしいるわけにもいかないから、階段で野宿だ」ふたりは階段道路で寝ることにしたが、焚き火もできず、食料は金がある限り路の左右の店で買えるが、居心地の悪い思いをしそうだと思った。
すると、そのとき、こじんまりとした屋敷のドアが開き、婦人がなかにはいれという。ピョートル・イアアはこの婦人にどこかで会ったような気がした。中に入ると、ソルコリギター・ソリィコギッチがいった。「貴殿にはどこかで会ったような気配がする。あやしいやつ!御用でござる」
ピョートル・イアアはあわててとめた。「まて、いちいち抜刀するな」
不思議な婦人は言った。「わたしはヘクトリューシャ・レイチェルモンドの母です。ピョートル!ずいぶんおおきくなりました」







『パァンとサアカス』第三部 続

『パァンとサアカス』



パァンとサアカスは人形劇だ!



第三部 続


31


「もう閉店の時間だよ」イワン・タリャーゴフがいう。
「こなかったよ、パミラ・ミミトンの恋人」ピョートル・イアアはいう。
「今日のところは引き揚げよう」エスーフエルフ・マロマデシャはいった。
「タルテモンド・タルヤョーヴナ(ミミトンの恋人)は本当は35歳らしいわよ」ヘクトリューシャがいう。

ラヴシィンー閉店後の店―

「わたしにはあんたが買ってくれた、この店があるからいまさらあんたがいなくても平気だけど、あんたは今、大丈夫なのかい。あいかわらずアメリカ政府から逃げ回っているんだろ?」
「ロシアの名誉にかけて!そっちは大丈夫だ。それより難しくてよくわからないけどこれを読んでいる」
「『罪と罰』、モスクワじゃ今流行っている。あんたも読んでいるのかい」
「難しいから解説から読んだ」


イワン・タリャーゴフがいう。「解説から『罪と罰』を読んだ。山場は何ページなのかわからないから、いつになるかわからないけど、読むときが楽しみだ。見ることはできなかったけど、ミミトンとタルテモンド・タルヤョーヴナもこんな感じだったんだ。きっと」
ソルコリギター・ソリィコギッチはいった。「ソーニャと主人公が聖書を読む。メロドラマ的になるのも辞さずか。写実的であり幻想的。破綻しそうなぎりぎりの世界か。解説から読んじゃ駄目だよ」


32


路上絵描きのイワン・タリャーゴフに客が来た。簡単でいいから似顔絵をかけという。客はヨトーヴナ・パレフという23歳の男性だった。絵描きの金を払った上にビールをおごるというので、イワン・タリャーゴフはたいそう喜んだ。
「ところであの居酒屋で見たんだが…」ヨトーヴナ・パレフはいった。「あのかわいい居酒屋娘と、カチューシャをしたきれいなロシア美人と仲良しらしいが、うらやましいとおもって、…」
イワンはビールを噴きそうになった。
「居酒屋娘って、パミラ・ミミトンはあったっことがないけど恋人がいるし、ヘクトリューシャはあのネクタイをした、ピョートル・イアアの彼女だし…」
「いや、きれいだなとおもって、うらやましいんだよ」
「気色悪いよ。普通にどこかのロシア美人を探しなよ」


作者など、一人で川に釣りにいったとき、男女混合のグループが川辺で焼肉をやっており、非常にうらやましく思った。(男性3人位に女性2人くらいのグループだったが、他にもグループがあり、女性のみのグループや比較的年配など、いろいろいた。)一匹も釣れないで帰ってきたが、「釣りしてる」と言われただけで「食べるか」とは言われなかった。楽しそうに焼肉を食べていて、うらやましかった。
しかし、こういうのは見ているとうらやましいが、逆の立場だと、うらやましがられると気色悪くてたまらない。


33



パミラ・ミミトンの店にソルコリギター・ソリィコギッチとイワン・タリャーゴフ、エスーフエルフ・マロマデシャが呼ばれた。店にだす新メニューを試食させられる。
パミラ・ミミトンがいった。「日本のライス。日本人はこれを毎日食べてる。毎日食べるくらいだから、とても美味しいはずだけど」
3人は食べたが、皆、味があんまりしないという評価だった。
「パスタにやや似ているかも」という評価もあった。
「でも、味も何もあったもんじゃないよ」
ヘクトリューシャにそのことを話すと、「ピョートルは日本に住んでいたことがあるけど」といった。
ピョートル・イアアがパミラ・ミミトンの店に呼ばれた。
そして、皿に盛られたホワイト・ライスを一目に見ていった。
「ライスに日本人はソースをかけて喰う。日本にはライス用のソースが何種類もある。だから日本人はライスを毎日食べることができるんだ」



34


パミラ・ミミトンの店でエスーフエルフ・マロマデシャがいった。「この新聞を読みたまえ。イワン・タリャーゴフ君!」。
新聞記事はロシア強盗団についてのものだった。
イワンは記事を読んだ。
(なになに、ロシアで金目のものを奪う強盗団が出没か。)
ロシア強盗団は金品を奪った後、怪傑ゾロのように置手紙を残していくのが特徴で、≪金塊は我々がもらってゆくロシア強盗団クリスタルより≫の文面の裏は連載小説になっている。
(そこまでやらないと、ダメか…。小説で金がかせげないのか…)イワン・タリャーゴフは青ざめた。
エスーフエルフ・マロマデシャがいった。「強盗団クリスタルはただで強奪するのは心苦しいと、小説をかわりにおいていくらしい。悪人も生割りをする時代だ」
ビリヤードのテーブルではパミラ・ミミトンとソルコリギター・ソリィコギッチが勝負していた。
「完敗だ。ここまで強い相手は初めてだ」ソルコリギター・ソリィコギッチはパミラ・ミミトンにコテンパンにやられた。
「ハスラーをめざしてたこともある。トリックショットを見せようか?」
ミミトンのトリックショットを見て、3人は拍手をした。
「やりすぎた。台所を見てくる」パミラ・ミミトンはカウンターの奥に行った。


35


イワン・タリャーゴフは考えていた。小柄で軽量のパミラ・ミミトンはビリヤードのテーブルに腰かけて、キューを突いたりするが、体重の重い自分がやったとしたら、…弁償する金、やめておこう。こっそり練習するのは…。モスクワ大学に受験の手続きに来たことを思い出し、かばんの中の書類を確かめる。決められた時間まで時間があるので、レコードハウスをのぞく。しかし、何も買わないで出てきた。喫茶店に入る。コーヒーを注文し、時計を見る。後、2時間もある。ふと、インターネットのことを考える。「おもしろいサイトをみつけたよ!」このようなささやきが聞こえた。つまり今の時代、見つけたことが意味のある珍しいことで、何の労力もいとわない作業ではない。ロングテールなので、欲しいサイトがそれぞれバラバラで、不特定多数に受けるものならTVを見ろと、こういうことかと。つまり、≪面白いサイト≫の発見とは、ネット上のサイトと『それを見る人の趣向』の両方の情報を保持している必要があると。見る人のことを知る必要と、サイトに詳しい両方の知識。コーヒーはあっという間に底をついた。彼は空のコーヒーカップを目の前に平然と何時間も喫茶店に居座ることのできる人間ではなかった。そういうタイプの人間ではないことを美徳とも悪徳とも思わないが、彼は後1:30以上もある待ち時間を覚悟の上、喫茶店を出ることにした。



36


パミラ・ミミトンが6歳の時、一つ年下の男の子にじゃが芋のスープをゆずった。そのとき彼女にはじゃが芋のスープがあたらなかった。しかし、彼女は人に欲しいものをゆずるということを覚えた。このことが彼女に大人へ階段を上らせることとなり、一皿のスープの何倍ものものを彼女に与えた。人とかかわることを覚え、彼女は孤独から解放された。56歳の子供において、人にゆずることを知っているか、知らないか?そのことの大きさが生涯にどれだけの作用を及ぼすのか?その時の彼女にはわからない。女性は人間的成長をとげるより、低い段階にとどまっていたほうが幸せであるともいう。
彼女の人より早く人間的に成長するという生き方は、彼女にやがておぞましい運命と最後にやってくる幸福の両方をもたらすことになる。


37


ヘクトリューシャは良家の娘に生まれた。彼女の父は甘やかせて育てるとだらしない娘になると、厳格に育てる傾向があった。
習い事など、いくつも習わせたが、ヘクトリューシャにはただ、それは義務であるという感じがして、こなすだけの習い事になった。理由もなくさぼることもなかったが、何の熱意も興味もなかった。叱られるばかりというわけでもなく、飛びぬけていると、褒めちやかされるのでもない、そんな習得の日々であった。
屋敷の図書室で読書をして過ごすことが多かった。読む本の種類まで指定されることはなかった。だから、ここでは自由であった。きれいな美術品も花も見あきた景色であったが、殺風景ですらある図書室の厳粛な雰囲気が彼女を和ませた。本の種類は古今東西さまざまなものがある。


38


ヘクトリューシャはときどき、目の前が真っ青になる瞬間がある。歯医者で痛くしないように治療して下さいとお願いすると、痛くない治療なんてないよと言われた時のように。言い訳とか屁理屈とかそんな次元ではなく根本的に不可能なのだ。逃げ出せないのだ。と、知った時の恐怖。相手が屁理屈や言い訳をしているのではない。本当に楽な道がないのだ。そう実感した時の冷めた恐怖。生きていることが苦痛になる瞬間。自分の中の理屈に逃げ込めたなら!しかし、現実は情け容赦なく目の前にある。それを見えないふりをするほど子供ではなかったが、パミラ・ミミトンをみると平然と苦なく生きているように見える。彼女にはそれが不思議でしかたなかった。

39


日本人は“八百万の神”とかいって、クリスマスにケーキを食べるが、特定の宗教を今一信仰しない。一度も、侵略されたことがない。島国である。イスラエル人は一神教(神がよろずどころか一つ)であり、ユダヤ教やキリスト教の国であり、国をもたない流浪の国で苦労をし、大陸にあり、ナルコレプシー(眠ってしまう病気)が最も少なく。日本人に最も多い。このように正反対の国である。日本人は世界中の神話や宗教を読み、宗教や神話と言えば、若者はRPGを想像するくらい柔軟である。ロシア人は古来、土着の信仰や日本でいう妖怪などが信じられていたらしい。土地が広く民族が多岐にわたるため複雑なのだろう。ギリシア人など今ではゼウスを信仰しているのだろうか?宗教はそれを大切にする人にはシビアな問題であろう。相手の気持ちは大事にするべきである。しかし、拝む相手がキリストや聖母マリアならよいが、明日からあなたが拝まれたとしたらどうだろう。気持ち悪いか、詐欺を働いているような気分になる。次回の『パァンとサアカス』はウェイターにチップをあげてから、48時間拝まれ続ける女“拝まれた女ヘクトリューシャ”です。


40


ヘクトリューシャはベットからおきあがり、半分夢の中にいる悪夢からもがいて、おきあがろうとしていた。見知らぬ他人が自分を拝む、子供が、老人が、どさくさにまぎれて、ソルコリギター・ソリィコギッチが拝んでいる。エスーフエルフ・マロマデシャも同情するのではなく、どさくさにまぎれ、口元に笑みを浮かべ拝んでいる。ピョートル・イアアはいう。「気のせいだよ」なぜ、目をそらして言うのか?微笑みながら、たわいもないことのように言って欲しい。48時間の気の迷いが終わり解放される。水差しの水を呷り、ベットに倒れ込む。ヘクトリューシャは18の時、初めての舞踏会が朝方まで続き、付き添い(シャペロン)の保護者の親戚に、もう、いい時間だから、寝室で休んで、起床したら、化粧を落とし、身なりを整え、馬車で屋敷で帰りますよ。と言われた気分になる。「ヘクトリューシャ!未成年なのにお酒(シャンパン)を飲んだのね?ご両親にはサイダーを飲みすぎたと申し上げなさい。私の責任になるのよ」


41


酒に酔った人は、棚の上の塵に気がつくだろうか?パミラ・ミミトンは長いこと今の生活を続けていると、酔った人が決して気がつかない塵に気が走って仕方がなくなる。逆に塵に気がつく必要があれば、酔いが邪魔なのだと。いや、酔ったこともない人は素面でも塵に気がつかないのかも?両極端。両方を知れば塵に気が走るのかも?開店前の清掃をしながらふとパミラ・ミミトンは思った。

42


ヘクトリューシャが住んでいる屋敷には、イングリッシュ・ガーデンをまねた、庭がある。就寝前にヘクトリューシャは庭園で散歩していた。ベンチに腰掛け、夜空を眺めていたときのことだった。調理人室のドアから、見たことのない、料理人がでてきた。「あなた!?見たことがないわ」男の料理人は会釈をし、こういった。「昨日から雇われたものでして…あいさつが遅れました、お嬢様…」「そんな話聞いてないわよ!?!」「チッ!気がつかなけりゃ、いいものを!」「ウッ!!」彼はナイフをヘクトリューシャの喉につきつけ、屋敷の内部を案内させた。「悲鳴を上げたり、ほかの使用人のいる通路など通ったら、遠慮なく喉笛を切り裂く!」
ドアを開けて中に入ると、暗くて明かりがない。賊は聞き耳を立てた後で明かりをつけろと促した。ヘクトリューシャは壁にかけてある、刃のない飾りの刀剣を手探りでとり、賊を突き飛ばした。ランプをつけると、刀剣で賊を打ちのめし、使用人を呼び、賊を警察に突き出した。


43


クリスマスの夜だった。ソルコリギター・ソリィコギッチは全身の力を込めて飛び跳ねた。天かけるサンタクロースのそりにぶらさがり、ドイツまでついていった。ドイツのクリスマスマーケットでホットワインなど飲み、帰りは、夜店で買った、鉄道模型を走らせ、それにぶら下がりロシアまで帰った。ヘクトリューシャの屋敷の上空を通った時、彼女が賊を警察に突き出す場面が見えた。手を振ると、口を開けたまま驚いてるヘクトリューシャの顔が見えた。ふりむくと、ピョートル・イアアはサンクトペテルブルクのホテルでペーチカにあたりながら、パイプをふかし、ワインを飲んでいる。「おおーい、ピョートル君!」ソルコリギター・ソリィコギッチが叫ぶと、彼はグラスを持ち上げ、あいさつしてきた。そして、ブリキの箱につめられたクリスマスキャンディをホテルの窓から放り投げた。空高く飛んでいるソルコリギター・ソリィコギッチはやっとのことで受け止めた。そのまま、ヘクトリューシャの屋敷に投げた。ヘクトリューシャと使用人はシーツを広げて、ブリキの箱を受け止めた。鉄道模型は徐々に勢いをなくし、モスクワのソルコリギター・ソリィコギッチの家の近くに不時着した。

ヘクトリューシャとルターリャ 挿絵




44


ヘクトリューシャが午前8時半に起床して、朝食のクリームコーヒーと菓子を、二つ年下の使用人の女の子とテーブルに並んで食べていた。
「ルターリャ、今朝はお砂糖はスプーン二杯にして。低血圧のせいで眠いわ」
「ヘクトリューシャ。あんたの親父、ピアノなんか注文してなにかたくらんでるみたいよ。今朝、ピアノが届いて、二番目に広い部屋に置かれたのよ」
「ピアノならチャイコフスキー先生のところでお稽古してるけど。弾けるわよ、30曲くらい」
「私もなんかいか会ったことある。あの神経質の塊みたいな年寄りでしょ?ヘクトリューシャ!クリームをカップに入れすぎ。わたしはそんなにいらない。あんた、半分寝てんの?3時のおやつの時間に弾いて聴かせてよ、あんたのピアノ」

45


午後2時すぎ、馬車の音が聞こえ、来客があった。図書室にいたヘクトリューシャは広間に呼ばれ、ピアノの前に並んだイスに座らせられた。来客はヘクトリューシャの親戚の一家だった。特に今年23歳になる、ヘクトリューシャの従弟のニコライがピアノを学んでいるので演奏することになっていた。ルターリャはお茶をカップについでまわった。つぎ終わるとイスに腰掛け、ニコライの演奏が始まるのを待った。
演奏がはじまり、ニコライは一心不乱に弾いている。
スムーズに弾いていたが突然ひっかかった。
ジン♪
また、スムーズに弾いた。
デン♪
ひっかかった。
ヘクトリューシャとルターリャはクスクス笑い始め、止まらなくなり、やが声をたてて大笑いしてしまった。
何かの映画(未完成交響楽)のように怒って出て行ってしまうかと思ったが、ニコライは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
ヘクトリューシャの父親にふたりは自分の部屋で反省するように言い渡された。さらに、夕食の後、反省しているか確認した後、ふたりに客室のニコライにあやまりにいくよう言われた。
しかし、ルターリャはニコライの顔をみるとまた、クスクス笑いだしてしまった。「ニ…ニコライ…さん。ヘクトリューシャと一緒にチャイコフスキー先生のところで習いなよ。笑ってごめん、ククク…ハハハ」
「君はヘクトリューシャと違ってピアノも習っていないんだろ?失礼だよ。君が男だったら、サーベルかピストルで果たし合いを申し込むところだ」
「ククク…“へたれ”に見えるけど、ククさすがヘクトリューシャの従弟だね、ァハハ」
ソルコリギター・ソリィコギッチは日本から取り寄せた、≪日本刀≫をかざして眺めていた。(切れ味の良さそうな一刀…案外、イワン君あたりが果たし合いに使うから貸してくれとせがんでくるのかも…日本の芸術品)


46


ニコライはルターリャにいわれた。「あんた、ククク、女相手にサーベルは抜かないとかいって、アハハ、トランプでもぜんぜん勝てないじゃないの。あんた何なら勝てるの?」
「………!」
「クックックッ、いいすぎよ、ルターリャ。本当に果たし合いになるわよ」
「あんた、サーベルを片手で扱えるの?両手で持っても振り回せないんじゃ?」
「…………!!!」
2年後、ルターリャとヘクトリューシャあてに一通の手紙が届いた。
当然、ニコライからで、おかげさまで、サンクトペテルブルグの音楽コンサートで演奏をし、大成功を収めたという。


47


ヘクトリューシャとルターリャは屋敷の庭でスケッチブックにクレヨンで絵を描いていた。地面に敷き物を敷いて座り、イングリッシュ・ガーデンを模倣した景色を描いていた。お昼には、イチゴジャムとチーズのサンドイッチと紅茶を飲み、午後からまた絵を描き始めた。
「あ、蝶々だ。絵に描いておこう」
「描いてるうちに飛んで見えなくなるわよ」
「ホントだ。もう見えない。お、別の蝶々だ」
「模様が混ざって蛾になってるわよ」
「ホントだ。ページをめくってもう一枚描こう」
夕食のあと、ルターリャが自分の部屋の机の引き出しを開けると、切手帳がなくなっていた。
ルターリャの趣味は記念切手を集めることだった。
「また、ヘクトリューシャのやつ持ち出して。まったく、ヘクトリューシャの部屋か?」
ルターリャはヘクトリューシャの部屋に入ると、机の上にある本の山を調べた。
「ライプニッツー『モナドロジー』…。カント、『純粋理性批判』…。ドストエフスキー、『罪と罰』。あー、今、モスクワで流行の…。読み終わったら借りよう。あった。わたしの切手帳」
ルターリャは切手帳をとりもどすと、棚にある酒瓶を調べていった。
「お返しに、ヘクトリューシャのブランデーを飲んでやる。おしゃれなグラスもついてる…」
しばらくのちにヘクトリューシャが自分の部屋にもどると、ソファで倒れるように酔いしれて寝ているルターリャがいた。ヘクトリューシャはルターリャをおこすと、ブランデーの瓶をみていった。
「このお酒!ピョートルがフランスに行ったときの、おみやげのブランデーだわ。半分以上飲んだのね、ルターリャ!」
「ピョートル?ああ、あの“へたれ”の…。いや、あんたが、切手帳を持ち出すから、お返しに飲んだんだけど…。飲みすぎた、水持ってきてヘクトリューシャ…」

 


48



「ヘクトリューシャ!あんたの恋人から手紙だよ」ルターリャが、広間でチョコレートを飲んでいるヘクトリューシャに手紙を運んできた。
自室の肘掛椅子(アームチェア)に腰掛け、机のランプに火を灯し、ヘクトリューシャは手紙を読んだ。ピョートル・イアアは今、キエフにいて、不思議な屋敷に招かれ、そこで手に入れた、珍しいお土産を持って帰ることができるという。楽しみに待っていてほしいとのことだった。
パミラ・ミミトンの店は開店前の準備をしていた。イワン・タリャーゴフとソルコリギター・ソリィコギッチは店が開く前からなかでコニャックで一杯やっていた。イワン・タリャーゴフがトライアングルとカスタネットを鳴らして遊んでいた。
「うちの店の中で流しはお断りだよ!開店前に入ってくるのも迷惑だよ!」パミラ・ミミトンが怒鳴った。
「姉さん!固いことをいうと難しい人になるよ!」イワン・タリャーゴフがいった。「今度から路上でカスタネットを鳴らし、トライアングルをチン!でまず目立つ。そして、絵描きの客をあつめる。そういう戦略にした」
「イワン・タリャーゴフ君。憲兵には注意したまえ。たちの悪い流しだと思われる」ソルコリギター・ソリィコギッチはいった。

49


ピョートル・イアアは不思議な外国商人の屋敷に入った。なぜ、呼ばれるのか彼にもわからなかったけど、中途半端になかに通される。
アラビア風の広間を通り、以前も入れた、開けた広間にきた。青と白の絨毯、壁の絵がやはりあり、そこの奥にまで通されると上がり階段があった。ビロードの長椅子があり、そこに老人が横になっており、両サイドから、大きな植物の葉をうちわにして、長椅子の老人を仰いでいる外国女性がいる。
ピョートル・イアアはロシア語、フランス語、イタリア語、日本語であいさつをしたが、老人も、女性も、キョトンとした顔をして半分驚いている。
小声で老人はなにか女性に話していた。ピョートルは背中に冷や汗をかいたが、気を紛らわせるために目を凝らして奥を見るとドアがあるのが見えた。かなり頑丈そうで、丈夫な錠前がついている。女性の片方が古ぼけたランプをもって、ピョートル・イアアにわたした。老人は「もっていけ」と身振りで合図をした。案内人はピョートルを出入り口まで連れて戻った。



50



ピョートル・イアアは外国商人の屋敷でもらったランプをヘクトリューシャのお土産としてとどけ、パミラ・ミミトンの店にふたりで出かけた。途中、イワン・タリャーゴフがカスタネットと、トライアングルを鳴らし、てきとうな演奏していた。人だかりのほかの人と同じように、ピョートルは一番安いコインを投げた。「違うんだ。この演奏で金をとるんじゃなくて絵を描くのが商売なんだ」「儲かればいいんだろ、イワン・タリャーゴフ君」「いわれてみればそうだ。そういえばそうだった」
二人は店に入った。ホットミルクとシナモンティーを注文したが、パミラ・ミミトンはほかの客を相手にしている。なぜかソルコリギター・ソリィコギッチがカウンターのテーブルにカップを置いたが、両方にアルコールが入っているような気がした。






51


ヘクトリューシャはランプに火を灯してみた。するとランプから巨大な虎があらわれ、辺りを走り回り、壁に激突した。と、同時に煙になり、中国か日本のお香のような不思議な香りが辺りをただよった。ヘクトリューシャとルターリャは夢見心地でお香のにおいに浸った。二人は半分あほうのような顔をして眠りそうになっていたが、しばらくするとミントをかんだように目がさえてきた。ちなみにパミラ・ミミトンの名前の由来はバニラとミントから来ている。ルターリャはランプをカップに注いでみた。蜂蜜酒のような飲み物が出てきて二人はおいしく飲んだ。浴室のバスタブにランプを注ぐと、バスパウダーがでてきて、すてきな香水風呂になった。
3回使うともう、ランプからは何も出てこなくなった。


52


深夜300のモスクワ市街地。ソルコリギター・ソリィコギッチは『深夜見回改め』と称し、日本刀を持参して、身勝手な警備をしていた。
霞が黒い背景にまだら雲のようにからみつく深夜の光景。生命の時間は停止し、無機物質のみが作動しているような静けさ。昼間は一切聞こえないはずのジェット気流の轟音が、いったいどこから発生するのかは不明だが、辺りに轟く。
「ン?賊か?」
野良犬すら動かないはずの夜の都市に人影が動いた。
「そこだあぁああぁあ!!チェィーストォオオオオ!!」
ソルコリギター・ソリィコギッチは日本刀をかまえ、人影に斬りつけた。
「チッ!まさか、モスクワに追手だと?」
影は紙一重で刀をかわし、サーベルを抜いた。
「おもしろおおおいいいぃぃ、サーベルで我が剣がしのげるかなぁぁぁ?ウォオオリィイイヤァアアア!!」ソルコリギター・ソリィコギッチは渾身の力を込めて日本刀を横なぎに撃ちはなった。
ギィヤァァアン!!!
「サーベルの刀身ごとたたき折った!?なんて物騒な剣だ!?」
「ヌァァァァァアアアア!?!」ソルコリギター・ソリィコギッチは狂人か悪鬼魔(あっきま)の表情をして、おどりかかってくる。
タルテモンド・タルヤョーヴナはジャンプし、建物の屋根に逃れた。
「どおおおおこおおおへ―――――逃げた――?!!!!」
悪鬼魔は一瞬にして消えたタルテモンド・タルヤョーヴナを探してウロウロしている。
「パミラにこれを届けにモスクワに来たが、奇妙な邪魔が入った。腕がしびれて、かなりしんどい。予定が狂うが出直すか…」
次の日の夕方。
パミラ・ミミトンの店でカウンター席で、昨日、しこたま儲けたイワン・タリャーゴフがローストチキンにコショウをかけて食べていた。ソルコリギター・ソリィコギッチは黒ハムとチーズときのこのサラダと温かいキャベツのコンソメスープ、ビールを注文していただいていた。イワンがパミラ・ミミトンにいった「姉さん。恋人のタルテモンド・タルヤョーヴナさんがまた来るといいのにね」
「年に4回しかこないよ。余計なお世話だよ。それより、ローストチキンとビールだけじゃなく、黒パンとかサラダとかスープを注文しなよ。肉だけじゃ体に悪いよ」
ソルコリギター・ソリィコギッチはいった。
「モスクワの治安は≪拙者≫が必ず守るでござる。タルテモンド・タルヤョーヴナ殿も安心してミミトン殿のもとへこられよう」そういってビールをコップに注ぎ飲み干した。






53


ソルコリギター・ソリィコギッチの『深夜見回改め』は続いた。タルテモンド・タルヤョーヴナとの一戦から数日後、深夜のモスクワに明らかに怪しい人影が見えた。
「ヌン~!?♪ひさしぶりの賊かぁあ?」
ソルコリギター・ソリィコギッチは鉢巻を頭に巻き、日本刀を抜いた。月明かりではっきり見えたが賊はサアカスのピエロの格好をしている。手には短刀を持ち闇夜にたたずんでいた。微妙にポーズをとっているようにみえる。
「モスクワを脅かす賊はアァアァァ!!この刀で叩き斬る~ゥゥウウ!!」
ソルコリギター・ソリィコギッチはいった。
ピエロは鈴を鳴らすような、無機質なからくり人間のような声でいった。闇夜にはそれがよく響いた。
「冥界からの使者として参上した者です。罪ではしごをつくったり、サンタにぶら下がりめいわくをかけるなど、目にあまる行為。始末し、あの世につれてこいとのことです。ハイ」
「ぬかせ~!!そんな、果物ナイフで俺の刀がぁあぁああ――!!」
狂人の殺人鬼と化したソルコリギター・ソリィコギッチは怪力で日本刀を振り回した。
ギン!
「ばかァナァアアアアアハハハァア?」
短刀でピエロはソルコリギター・ソリィコギッチの刀を片手で受け止めている。
「ソンナ バカジカラデ 剣ヲ フリマワセバ スグニ ナマクラ」
「チッ!いつぞやのサーベルの時!ならばぁ!切れ味が残っている切っ先で突きアルノミ!」
ソルコリギター・ソリィコギッチは冥界からの使者であるピエロに無数の突きを放った。と、同時にピエロは後ろに飛び去り、よけた。後ろから馬車の轟音がとどろき、見ると、骸骨の馬が二頭で馬車を引っ張っており、御者はいなかった。
ピエロは、骸骨馬の馬車に飛び乗るとこういった。「また会いましょう。ソルコリギター・ソリィコギッチ!切れ味よければ、すぐさま刃こぼれ!」ピエロは短刀をソルコリギター・ソリィコギッチに向かって投げつけた。彼はかろうじて刀で払いのけた。骸骨馬馬車は次第に遠ざかり、ピエロの「ウキキキヘラララァアアァア――――!!」という叫び声とともに見えなくなっていった。


54


狂人主義。これをソルコリギター・ソリィコギッチは唱えるようになった。「さよう。狂人主義でござる」ソルコリギター・ソリィコギッチはパミラ・ミミトンに頭を叩かれた。「うちの店でおかしなことを言い出すものじゃないよ」
ソルコリギター・ソリィコギッチはグリーンティをすすりながらいった。「狂気をあなどるなかれ」ヘクトリューシャがいった。「確かにスタンダールの『恋愛論』に≪美しくも気高きヴィルヘルミーネが恋の狂気を軽蔑し笑った≫という話がでてくるけど…憲兵につかまるわよ?」イワン・タリャーゴフがいった。「ヘクトリューシャ!その本を貸してくれ。いや、自分で買う。次の戦略は小説を書いて、路上で朗読する。飲み物菓子を売って儲ける」


55


パァアアアアアァア――――――。
本棚――「ジョジョの奇妙な冒険5」「チェホフ全集」「ビーグル号航海記」――――。寝室―――――。
ルターリャはいった。「こいつにビスケットを食わせてやりたいんですが、かまいませんね!具合が悪くてもビスケットとミルクくらい食べなよ、ヘクトリューシャ」ベットで寝込んでいるヘクトリューシャは「ありがとう、少しだけ食べてみるわ」「あんたの親父、医者を呼んだわよ。昼過ぎに来るって。往診に来られる医者はこの辺りじゃ、エスーフエルフ・マロマデシャという先生しかいないんだって」「どこかで聞いた名前のような?」「顔色が悪いヘクトリューシャを見たのは初めて会った時以来だよ?」「実は死神が夢に出てきてこういうのよ。『ヘクトリューシャ!お前にうらみはないが、物語のためだ。病気になってもらう。ウキキキヘラララララァア――!!』」「死神?」「死神ってピエロなのよ」「ピエロがなんで…」「トランプのジョーカーって死神にしてピエロ。あれは、人を笑わせるのが生割りなのと、生死を司るのが生割りなのは、にているのよ」(なんでこういう話題だと生き生きするんだろう…こいつ…?)


56


ベッドでヘクトリューシャは退屈しのぎにトランプをめくっては眺めていた。今までいろんなトランプを見たことがあるけど、ジョーカーがどんな絵か?それを見るのが楽しみだったころがある。リアルな悪魔か死神の絵のトランプもあれば、かわいい絵のトランプもある。思えばあのころは母がまだ生きていた。誕生日に色絵のトランプをもらったこともある。「キングは王さまで、クィーンは王女さま。ジャックは?」3人で象牙のトランプで≪ババぬき≫や≪7ならべ≫をしたりした。母親はヘクトリューシャが7歳の時に亡くなった。
寝室のドアがノックされ、ルターリャと往診の医者が入ってきた。


生割り――生活のための役割。つまり職業


57


「やや、君は!ヘクトリューシャ、君が午後からの患者さんか」エスーフエルフ・マロマデシャは黒い診察かばんを抱えてベットに近付いてきた。
「マロマデシャ先生ってあなただったの?大丈夫かしら」ヘクトリューシャは上半身をおこしていった。
「知り合いかい?おきて大丈夫か、ヘクトリューシャ?」ルターリャはいった。
「いや、知り合いが患者で気が楽だ。あー、診察か…」水銀体温計をかばんから取り出し、ヘクトリューシャにわたすといった。「えー、腋にはさんで体温を測るとき、どこかの馬鹿力みたいに壊さないでくださーい。」体温計の目盛りを見て、エスーフエルフ・マロマデシャはいった。「あー、これなら仕事中の私のほうが微熱が高いくらいだ。えー、リンパは?なんともない。口を開けてくださーい。ハイ何ともないです。あー、そういえばソリィコギッチが警察に呼び出しを喰った。厳重注意だけだが、夜中にモスクワ郊外をふらつくなんて馬鹿をしなけりゃ、たいがいの病気は大丈夫だ」
「なんともないんですか?、マロマデシャ先生」ルターリャはいった。
「念のため、具合が悪くなったときのために、あーこれだ。この水薬をおいていきます。ではお大事に」
「ありがとうございました。マロマデシャ先生」ヘクトリューシャがいった。
「ついでに本棚から本を借りていこう」エスーフエルフ・マロマデシャは本棚を調べた。「ゴージャス・アイリン」「ロドリグあるいは呪縛の塔」「パァンとサアカス」
「あ、これだな。『ロドリグあるいは呪縛の塔』を借りていきまーす。」
(なんでこの先生、人の家から本を借りて行くんだ?)ルターリャは思った。
エスーフエルフ・マロマデシャはドアを開けて退場した。


58


「レイチェルモンド卿。医者は帰りました。なんともないみたいです」ルターリャはヘクトリューシャの父親であるレイチェルモンド卿(56)にいった。
「そうか。なんともなかったか、それはよかった」
「コーヒーを淹れましょう」ルターリャはいった。「ああ、ありがとう。一緒に飲もう。ヘクトリューシャが7歳の時、彼女の母が同じように病気になってね」
「ヘクトリューシャの母親がですか?」「そう、ヘクトリューシャはなんともなくてよかったが、彼女の母さんは不運にも亡くなった。妻は死神が自分を連れてゆくといっていたな」「死神?」「今わの際の言葉は“サアカスのピエロがろうそくを吹き消した!”だった。当時、名医と呼ばれる医者を3人呼んでいたが、幻覚妄想状態で原因不明だった。幼くして母を亡くして、ヘクトリューシャが寂しそうで可哀そうになった。そこで私は、君を使用人兼ヘクトリューシャの友人として雇った。君が屋敷に来てから、ヘクトリューシャは明るくて元気な娘になった。君には感謝している」「レイチェルモンド卿…―――。」ルターリャのコーヒーカップを持つ手は震えていた。




59


ドドドドドドドドドド
「ヘクトリューシャ!何あんた無表情で廊下走っているの?」
ドドドドドド
「水薬を飲んだら元気になりすぎて、庭に行ってくるわ」
ドドドドドド
「まだ寝てないと駄目だよ」
3日も寝たきりだったんですもの、体がなまるわ」

パミラ・ミミトンの店。
イワン・タリャーゴフがいう。「ソルコリギター・ソリィコギッチ、今から山で苦行を積んでくる」「まて、これを持って行け」「刃がボロボロの日本の剣?」「狂人主義の日は近い。しっかり修行してこい」
パミラ・ミミトンがいう「なんのためのやまごもりだい?」「芸術家は行き詰まりを乗り越えるために荒行をするんだ。苦のみが行き詰まりの壁を突き破る鍵だ。」パミラ・ミミトンがいう「2どともどってくるんじゃないよ」


60 


タルテモンド・タルヤョーヴナは以前パミラを訪ねようとしたときにおそってきた「モスクワの怪人」のことを話した。「サーベルが真っ二つだ」パミラ・ミミトンがいった。「モスクワの怪人…でも、よかったよ、あんたは無事でさ」「よかっただって!あんなわけのわからない化け物に大事なサーベルをダメにされたんだ、いいわけがない!」「怒るなよ!びっくりするじゃないか?」「いや、そうだった。これを渡しに来た――」

レイチェルモンド邸
「ヘクトリューシャがまた熱を出した!?」レイチェルモンド卿は驚いて言った。
「レイチェルモンド卿!ヘクトリューシャの病気は彼女のお母さんとおなじで死神が原因なんじゃないかとおもって…」ルターリャはいった。
「死神!?馬鹿なあれは妻の幻覚の妄想の話だ!」「でも、彼女は死神が夢に出てくるって…」「もういちど医者に見せる、あの医者を明日一番に呼んでくれ!」

イワン・タリャーゴフは山で瞑想にふけりながら考えていた。刀を抜刀する。
「刀で斬ろうとするから、刃がこぼれる。心で斬ることができれば…相手を傷つける言葉マインドブラスト!!」


61


パミラ・ミミトンは孤児院で育った。ロシア政府から奨学金が出て、仲間の一人が大学にいけることになった。みんなは一番成績のいいパミラがいくべきだといった。パミラの成績なら、モスクワ大学は難しいが、二番か三番目の上位大学なら入学することが可能だった。しかし、わがままをいう仲間の一人が自分が行きたいといいだした。パミラ彼に大学の奨学金をゆずり、自分は高校を卒業したら働くことにした。しかし、「ひとにゆずること」が、必ずしもその人のためにならないことをある事件を通してパミラ・ミミトンは知った。は奨学金で学校にいったが、だんだんと授業にでなくなり、悪い連中とほっつき歩くようになり、人の道を外れた行為におよぶようになった。酒場でゴロツキとケンカになりナイフでさされ、川に捨てられた。
キエフのホテルのレストランでウェイトレスをしていたパミラ・ミミトンは新聞のニュース記事でこのことを知り、驚いた。客がテーブルで食事をしながら新聞を読んでいたとき、この記事をみつけびっくりして、モーニングコーヒーをひっくりかえした。キエフのホテルに長期滞在をしているこの男の客はパミラから話を聞き、こういった。「大人になってまで、わがままをいって駄々をこねる人間には、やさしくするとかえってためにならない。逆に意地悪をしてやるのがその人のためだ」。この若い男の客は名前をタルテモンド・タルヤョーヴナといい、職業はわからなかったが、ホテルの帳簿には博物学者と記録されていた。パミラ・ミミトンはこうしてタルテモンド・タルヤョーヴナと知り合い、恋人同士となる。


62


ピョートル・イアアは、高校や大学時代を思い出して、こう考えた。
差別主義のものほど仲間をつくり仲間意識が強いのではないだろうか?そもそも、仲間とその外のものを区別する。これ自体が差別主義の思想だ。ひとにたいし差別をしないものは結局、親しい仲間がいない人であったと思う。特別がない人は差別もない。友情など、差別的になにかを優遇することなのだから、なにかちゃんとした理由があるのではなく、個人的偏見から優遇する。友情があるということイコール偏見や差別があるひととなる。仲間を大切にしないひとほど差別や偏見を悪徳とみなす。このような法則があることを大学を卒業し29歳の今ごろ考える。
ピョートル・イアアはモスクワ大学医学部で学んだが、麻酔の発達していない時代のこと、けたたましい叫び声や飛び散る血。手術の光景にたえられず、医学部を中退し、外国語科に編入した。そして何ヶ国語も書物上の語学だがみにつけた。
卒業すると、ヘクトリューシャ・レイチェルモンドの父親、レイチェルモンド卿から多額の資金を援助してもらい、陶磁器の会社を設立した。イギリスのウェッジウッドのようなブランド製品にするつもりで、はじめたが、やがてロシアだけではなく海外にも製品を輸出するようになった。芸術的な絵画が描かれた“色絵の皿”をみなさんの食卓にお届けする。そういう仕事をつづけて、今に至った。
何かと非難や誹謗中傷の多い時代、傷つくことはあっても、傷つけるわけにはいかないピョートル・イアアは暖かい仲間が欲しいと思うようになっているが、ソルコリギター・ソリィコギッチの狂人主義についていけないものがあり、密かに彼を疎ましく思うこともあった。


63


パミラ・ミミトンが働いているホテルは大きくはなく、こじんまりしたお洒落なつくりで、キエフの街角にある。レストランは1Fにあり、そこに勤めるパミラは早く一人前になりたいと思っていた。一人前でもないのに、難しい仕事をこなそうと、一人前のふりをすると、シチューの大鍋をひっくりかえすことになる。ひっくり返った後で後悔しても、もうどうしようもない。できることからコツコツ積み重ねよう。これが、パミラ・ミミトンの仕事に対する考え方だった。
ホテルのオーナーがフョードル画伯にクリスマスの絵を描いてもらおうといいだした。理由は毎年クリスマスツリーの飾り付けをするのがめんどくさいので、絵なら、時期が過ぎればすぐにしまえる、そういうことだった。
フョードル画伯はキエフで有名な画家で、この当時42歳だった。
オーナーとフョードル画伯がレストランの席で商談をかわしていた。パミラ・ミミトンが紅茶を運ぶ。画伯はパミラ・ミミトンをみると驚いて、いった。画伯が二十歳のころ、外国に嫁いでいった、フョードル画伯の師匠の娘にそっくりだという。恋人であったその娘は、外国の金持ちからの縁談でオランダまでいってしまったが、別れる直前に描いた絵があるという。その絵をもってきたが、確かに、今のパミラにそっくりであった。オーナーはクリスマスに絵が間に合わないといらいらしていたが、確かに不思議だと驚いていた。
雪も路につもり、ペーチカに火が燃え、テーブルには御馳走が並ぶ季節。絵は完成した。フョードル画伯が持ってきた絵はフランダース地方の風景とクリスマスの絵だった。「これがオランダの風車!」パミラ・ミミトンが絵を壁に掛けるのを手伝いながらいった。




64


夜、7時すぎ、タルテモンド・タルヤョーヴナの部屋にルームサービスを運びにいったパミラミミトンは、ドアをノックしても返事がないのにきずいた。仕方がないのでドアを開けて中に入ると、部屋には人影がなく、テーブルの上には拳銃が置かれていた。ロシア製のものではなく、アメリカで大量生産されている仕様にみえたが、パミラ・ミミトンはタルテモンド・タルヤョーヴナが博物学者なのではなく、ヤバイ仕事をしているのではないかと恐ろしくなった。コーヒーをこぼしそうになりながらも、テーブルのうえに置くとパミラ・ミミトンはレストランの厨房に戻った。
ある日のこと、ホールには客がおらず、パミラ・ミミトンはあくびをしていた。
タルテモンド・タルヤョーヴナがビリヤードの勝負を持ちかけてきた。テーブルで同時に玉を突き、勝負がはじまった。タルテモンド・タルヤョーヴナがパミラ・ミミトンの強さに感心すると、ミミトンがいった。「学生のころはビリヤードで賭けをして生活費の足しにしていた。必ず勝つから、割と欲しいものが手に入っていた。チェスでも私に先手をゆずると、その相手は必ず負けた」
ある日のこと、パミラ・ミミトンはホテルのレストランの仕事は休日だった。下宿にいると、ドアをノックする音が聞こえた。「役所のものですが、住居者調査です!」ミミトンがドアを開けると、タルテモンド・タルヤョーヴナが立っていた。拳銃をミミトンに向けズカズカと中に入る。「あのホテルに追手が目をつけ始めた。しかも、金貨も底を突き始めた。結構、きれいな部屋だし、ここにとめてもらうことにする」
こうして、タルテモンド・タルヤョーヴナとパミラ・ミミトンは、半年の間一緒に暮らすことになる。

65


この歳で若い燕をやしなうこととなったパミラ・ミミトンは、なんだか新鮮なような、それでいて昔からやっている自分にもどったような複雑な気分だった。まだ19歳の未成年の自分がホテルで仕事をし、若い燕を介抱し、食事(スープ)をこさえ、男だったら聖人君子になったような気分だろう。料理人は芸術家(アーティスト)であると、このときミミトンは気がついた。塩加減、火加減、スープの具、あらゆるものが絵描きの絵の具の具合のように無限の選択肢があり、表現という意味ではキャンバスより広く広大な。違いは半永久的に残るのが絵画であり、親しい人に一度限りがスープなのだと。タルテモンド・タルヤョーヴナは基本的に聞き分けがよく、ミミトンはたすかった。さらに、彼はハーモニカをひいてくれて、せめてものお礼だという。何かというと、ミミトンのおでこや後頭部に拳銃の銃口をコツンとあてて命令する癖が、ギャングなのではないかというミミトンの恐れをいだかせた。


66


キエフのホテルでの仕事は忙しくもあり、楽しくもあった。
パミラ・ミミトンの人生に対する考え方は、「馬鹿を見れば、見るほどそれがいずれ人生において自分の力になる。意識して馬鹿を見る行為を修行という」こう考えていた。人生における修行の成果はいずれ「魂の能力」となる。生まれ変わって、才能となり、自分の人生にありがたさをもたらしてくれると。自分の食卓にオレンジとパン菓子を運んでくるのは「魂の能力」である。そう信じていた。
オーナーとレストランの厨房であたらしいコーヒーを沸かし、試飲していた。「なんだか目新しい味がするな、たしかに」
「新鮮な味がしますオーナー」
「メニューにはなんと表示するかな」
「そのまま、[あたらしいコーヒー]でいいと思います、オーナー」
パミラ・ミミトンがいうとおり、[あたらしいコーヒー]がメニューに加わり、レストランのオープンの時間になった。
さっそく[あたらしいコーヒー]を注文してきたカップルがいた。
パミラ・ミミトンがテーブルに運ぶと、自分よりやや年上のカチューシャをした女性とネクタイをした三十歳まえくらいの若者が向かい合わせに座っていた。この二人はヘクトリューシャ・レイチェルモンドとピョートル・イアアなのであるが、このときはお互い三人とも記憶に残らない。


67


半年間、一緒に暮らしたタルテモンド・タルヤョーヴナがパミラ・ミミトンの下宿を去る日が来た。「ありがとう。お世話になった恩は決して忘れない。できれば恩返しがしたいのだが」パミラ・ミミトンが答えた。「先のことは誰にもわからないわ。縁があればまた会いましょう」
パミラ・ミミトンはホテルのレストランでの生活にもどった。
キエフで今の生活と仕事が板についてきた、ある春先のこと、一通の通知が届いた。
タルテモンド・タルヤョーヴナがモスクワのある空きレストランの建物を買い取り、パミラ・ミミトンに名義をゆずるという。お世話になったお礼だという。ミミトンは仕事の暇をもらい、馬車にのりモスクワに出かけた。書類にあるミミトンの名義の建物を探すと見つかった。しかし、よほど大掃除しなければならない上に、食器、テーブル、イス、どれも中途半端で途方に暮れた。どうして、あの男はここまで気が回らないのだろうかと思いながら。モスクワのホテルに一泊した。自分の働いているホテルとの違いを観察しながら。キエフに戻り、オーナーに話すと、金は貸さないが、いらない食器と家具をゆずるという。ビリヤードのテーブルは退職金代わりだという。改めて見てみると、体重の重い男なら腰かけるとぼっきりいきそうなほど傷んでいた。さらに、フョードル画伯がその話を聞くと、ミミトンの店のための飾りの絵を描いてくれるという。さらに、軍資金にと数十枚の一等金貨をくれた。
モスクワでの大掃除と開店準備の日々がはじまり、ミミトンはそれをひとりでやった。人を雇う金はあったが、ほかのことに使って、残りはロシア銀行に貯蓄しておいた。
晴れて、パミラ・ミミトンの店がオープンの日、年配の男性ふたりと若い男ふたり、女性ひとりの珍妙な組み合わせが店に入ってきた。
「パミラ・ミミトンの店にようこそ!うちは白パンもサーロもただじゃないよ!