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2013年1月31日木曜日

紂王と諫大夫


   
時空小説を一休みして、番外。中国時代小説






 紂王と諫大夫   




 封神演技によると商(殷)の紂王(ちゅうおう)には、費仲(ひちゅう)と尤渾(ゆうこん)という佞臣がいたというが、この物語には全くでてこない。
 また、紂王が実際にこのような発言をしたかどうかは、誰にもわからない。


                       
一.諫大夫 高乾「酒」

 紂王は毎晩大量の酒を喰らっていた。
 諫大夫の高乾(こうかん)が諫言していうには、「酒は適量なら百薬の長。しかし、過度の飲酒は百害あって一利なし。お酒をもう少し控えますように」
 紂王がそれをきいて、答えて言うには、
 「適量なら百薬の長か。それなら何も問題はない。朕は並みの人間より、地位も力量もはるか上。酒の適量も並の人間より多くなるのは当たり前のこと。この程度の酒は、全く過度にはあたらぬ。もっと酒を運ばせるがいい」
 こうして高乾は紂王を諌めることができなかった。
 


二.諫大夫 高乾「知恵比べ」

高乾は事あるごとに紂王に諫言した。しかし紂王は、その頭の回転の速さによって、諫言をしりぞけた。
高乾はだんだん紂王を諌めること自体より、言いくるめることに、考えが向かうようになった。やがては、他の臣の目にも、あきらかに、紂王に知恵比べを挑んでいるだけ、と映るようになった。
ころ合いをはかって紂王は他の臣の前でいった。「この者は明らかに、朕に対して知恵比べを挑んでいる。これはもう諫大夫の役割を果たすどころか、朕に楯突くことを目的とした逆賊。炮烙(ほうらく)にかけよ」
高乾は炮烙にかけられ、焼け死んだ。



三.諫大夫 汪任「仮病」

諫大夫汪任(おうにん)は忠誠心の強い諫大夫だった。
次第に暴虐をはたらくようになる紂王を諌めるため、その忠誠心から精魂を尽くした。
しかし、紂王には通じなかった。
 心労が重なり、汪任は床に伏し、職務を休むことが多くなった。それでも汪任は国のため諫言をし続けた。
 紂王は自分の息がかかった医者に診させ、仮病と診断させた。
 紂王は命を下して言った。
 「この者は仮病を使い、職務を怠慢した。諫大夫にあるまじき行為。牢に放り込め」
 汪任は牢の中で病により没した。



 四.諫大夫 広雲「傾城」

 紂王には後宮に妲妃(だっき)という美女がいて、寵愛していた。炮烙(ほうらく)は妲妃が紂王をそそのかして造らせたものだった。
 諫大夫 広雲(こううん)が「傾城は文字どおり、城を傾け、国を傾けます。妲妃娘々(ニャンニャン)が考えた炮烙の刑はあまりに残忍な刑。廃止したほうが国のためであります。」と言うと紂王は「炮烙の刑を廃止し、取り壊せ」と命じた。
 炮烙が廃止されると商(殷)では軽度の犯罪が増えた。妲妃は炮烙で人が焼け死ぬのを見たいがために、紂王にねだり、本来なら死刑にならない罪人まで炮烙にかけさせていたからであった。
 紂王は広雲を召喚し言った。
 「商に犯罪が増えたのは炮烙を廃止したため。この責任は重大である」
 かたわらにいた妲妃は紂王にささやいた「天子様、広雲を処罰し、国の犯罪を減らすための、炮烙にかわる刑を思いつきました。大きな穴を掘り、蛇で埋め、罪人を突き落とす。蠆盆(たいぼん)です」
 炮烙があった場所に穴が掘られ、蛇で埋められた。広雲は蠆盆に落とされ、蛇に喰われた最初の人間となった。





五.「酒池肉林」


紂王と妲妃は、酒を飲みながら、蠆盆に落とされる罪人を眺めていた。
酒池肉林と呼ばれる宴会であった。
池に酒を張り、蛇に肉を喰われる様を眺めて、酒を飲むため、こう呼ばれた。
このころには、もう、紂王に諫言をする者は誰もいなくなっていた。
使者が紂王に報告に来る。
「周の軍が禁軍を打ち破り、間もなく城内に侵入してきます‼」
「来たか…」紂王は酒を飲み干し、杯を蠆盆にほうり投げた。




六.「禁軍」

商(殷)では、軍が紂王に刃を向けることはなかった。契(せつ)が領土を得、夏王朝を滅ぼして商を建てた成湯(せいとう)達の子孫である紂王は、諸外国でこそ、「もはや、君主にあらず」と叫ばれようと、商では刃を向けてはいけない存在だったからである。
だが、紂王を正義と信じることのできない禁軍はおのずから士気がさがる。
紂王の禁軍は周の軍におされ、もはや城は囲まれた。
周の軍師が広めた、「降伏した敵兵には、決してむごい扱いはしない」という噂も功を奏した。
紂王は身を整え、棒をとった。
そして、妲妃を奥の部屋にさがらせた。



 
七.「自焚(じふん)」


周の兵を、紂王は棒術で次々とけちらした。
勢いのある周の軍も紂王の気迫に恐れをなす。
紂王にもさすがに疲労の色がみえる。
周の武王はいったん、城内の侵入をあきらめ、軍師を交え軍議を開いた。
敵は引いたとはいえ、このままでは、自分の勝ちはない。紂王は城に火をかけ、奥の部屋に向かう。
妲妃に紂王は別れを告げる。
「最後の時が来た。城に火をかけた。敵はもう城内に侵入してこないだろうが、俺は最期をみとる。杯をあおれ。別れがこんなに早くなってすまない」
妲妃が答えて言う。
「愉しいことのない人生に何の価値があるのでしょう。苦しいだけの人生が幸せでしょうか。自分自身の愉しみがなくなっても、子や孫が、愉しみ、悦ぶ姿をみて、人は自分の悦びや愉しみとするものです。わたくし達は子供を授かりませんでしたけれども、わたくしは自分の愉しみや悦びを味わい尽くしました。ありがとうございます。さようなら、天子様。きっと、わたくし達はあの世で、お目にかかることは決してないでしょう」
妲妃は毒杯をあおった。




八. 「易姓革命」

城は焼け落ちた。
商は紂王の代で終わりをとげ、周の武王に覇権が移った。
こうして、周商易姓革命(えきせいかくめい)はなった。
周の人達は商のことを殷(いん)と呼んだ。




九. 後日談 「六韜」


周の武王と軍師は、降伏した商の人を呼び集め、

紂王の城内での言動がどうだったのかを訊いていた。
その中にこう語る者がいた。
「あれは、妲妃娘々(ニャンニャン)が商に来て、幾月か経ったころ…。私は紂王様にお願いしました…」


「陛下。妲妃娘々は普段は穏やかですが、時に感情的になることがあると評判で、城内の者から苦情がでています。そうたびたびではありませんが、そういう時の娘々は筆舌を尽くしても聞き入れない様子。
どうか、陛下から娘々に忠言してくださいますよう、お願いいたします」
紂王は言った。
「女が感情的になるのは、母性のためだ。
赤ん坊や幼子が傷つけられそうなとき、男のように長思案をしていたり、相手が自分に勝るから、などと考えていたのでは、子供は守れない。だから、女には理屈が通用しないことがあるのだ。
 妲妃は母性が強い女なのだ。
 それに、政治に口を出すような性格ではないようだ。
 悪いが、大目に見てやってくれ」
 

 「紂王様はこうおっしゃっていました」
 

伝説によると、周の軍師は兵法書を残した。
六韜(りくとう)は軍師の兵法をのちの人がまとめたものと言われる。

これより、はるかなのちの時代、劉邦(りゅうほう)は、韓信(かんしん)、張良(ちょうりょう)、蕭何(しょうか)などを配下にして、漢(かん)の高祖となった。
 これも伝説だが、漢の軍師である張良は老人から兵法書を譲り受けたという。
 張良はその兵法書を読んだ。
その兵法書は周の軍師によるものだともいわれているが、六韜ではないとされる。
張良は劉邦が高祖となった後も漢のためにつくした。






中国の古典「封神演技」あるいは「周商演技」をもとに書いた微小説です。


「封印演技」でも、炮絡(ほうらく)や蠆盆(たいぼん)は妲妃(だっき)が、
紂王に頼んでつくらせたものでしたが、この微小説では、
妲妃は本当は炮絡(ほうらく)も蠆盆(たいぼん)も欲しくなかった。
ただ、紂王に叱られたくてわざと不謹慎な願い事をしていたという設定であります。
紂王は女性に関する知識が中途半端に豊富なのが災いして、
女性に対し理解がありすぎ、願いをかなえすぎた。
そういう教訓物語となっております。
妲妃が毒杯を煽るくだりのセリフは漢文の歌に
すればよかったのかもしれませんが、作者の知識が足りなく不可能でした。
子供のおもちゃなど、自分ではうれしくなくても、
子供に買って与えて、喜ぶと自分もうれしい。
自分では愉しみではなくなった快楽でも、こうして他人が味わうことで味わえる。
他人の悦びが自身の歓びとなる。
そういっています。
最後に紂王は妲妃にふられます。
最後まで自分を叱らなかったからです。
悪女(というか問題を起こす女性)として、
妲妃と呂后(劉邦の正妻)を対比させています。
両者は性質が正反対で、問題行動も正反対である
という設定と歴史解釈であります。