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2010年10月9日土曜日

『老女』

ラジオ小説  



社交界の夜、しばらくぶりで楽しいワインを飲んでいた大佐に、

かなり年配の女性が話しかけてきた。

彼女は相当な金持ちの貴婦人の様子で、

相当な歳でありながら、気品と現存する魅力を備えていた。

世間話のあと彼女は大佐にいった。

「あちらの休憩室で、酒を飲みながら、トランプをなさらないかしら?」

「トランプ?ポーカーなら、お付き合いいたしますが」大佐は答えた。

「では、そうしましょう」

休憩室でのポーカーは婦人の勝ちっぱなしだった。

「今度こそ、私の勝ちでしょうな。フルハウス!」

「ダイヤのフォアカード。ねえ、貴方、

なぜ私に勝てないかお分かりになる?」

大佐はワインを飲みながら答えた。

「さあ?酒を飲みすぎだからでしょうかな。


それとも、金を賭けていないせいかな」

「気迫の問題よ。ねえ、貴方。必ず勝たなければいけないという気迫…」

初めに会ったときより、さらに年老いた老女に見えるが、

得体のしれない魅力は増しているようにも見える。

(それこそ、飲みすぎたか…)大佐は思った。

10年前…ソーホーの界隈で拳銃で撃ち殺された

女性のことをあなた知っているでしょう」

「撃ち殺されたんじゃなくて、流れ弾が当たったんだ。

当たり所が悪かった」

「婦人のいる界隈で酔って拳銃を抜くなんて、

貴方、非常識極まりない男だと思わなくて?

しかも、名乗りを上げずに逃げるなんて」

(あの事件の娘の母親か?明らかに私が銃を撃った男だとわかっている)

「犯人はあんな時間にあの界隈を歩いている女が悪いと思って、

のうのうと生活している。足がつかないのをいいことに…」

大佐は、素知らぬ顔でワインをグラスに注ぎ、

になった瓶をテーブルに置いた。


気付け薬のつもりでグラスを飲み干していると、

老女の姿が、みるみる若い女になっていく。

(新聞でみたあの事件の女だ!)

懐からピストルを抜くと、女にめがけて発砲した。

女もやや遅れて、ピストルを大佐に向かって撃った。

大佐も女もしばらく動かなかった。弾はどちらも外れていた。

女は窓から飛び降りると夜の闇に消えた。

ピストルの銃声を聞いて人々がドアを開けて休憩室に入ってきた。

大佐は、社交界の客たちに

「なんでもない。酒に酔って引き金を引いてしまった…」と答えた。

おし

『紫色の煙』


『紫色の煙』





1 喫茶店で夕食を


あれは昭和55年代のころだったと思う。

日が傾き、夕方になりつつあるアーケド街。

布地のカーテンを置物の人形に気をつけながらめくると

買い物がいりの人々や、帰宅時間のサラリーマン風の男性が静かに歩いている。

小型のTVでは相撲が中継されている。

こんな早い時間に夕食を喫茶店で食べている二人はめずらしいのかもしれない。

布製の4人掛けソファで食べているが、

カウンターの左端ではラジオで歌謡曲もかかっている。

なにも、両方つけなくてもと思う。

タバコの煙と油が混じった、あの時代の食堂独特のにおい。

お子様ランチとかが出てきそうな懐かしいにおいだ。

たばこを瀬戸物の灰皿に押し付け、火を消し、言った。

「たばこも値上がりするし、やめるかな」

喫煙をする前は、食堂でふかす人はまるで犯罪者のような目で見ていた。

自分も吸うようになったが、吸い飽きたのか今では、味気ない。

「そうしたほうがいいと思う」

恋人がスパゲッティのフォークを紙ナプキンに置き、言った。

マスターの奥さんだろうが、黙ってお冷をつぎ足していった。

恋人と自分以外の客は、こんな時間からウィスキーを傾けている初老の男性。

かなり長い髭をはやし、万年筆で原稿用に何か書いている。

小説家なのか、どうせ売れていないだろう。

ひげも白髪が生えているが、なぜか金がありそうな不思議な雰囲気がある。



2 屋上



金を浮かすため、地下鉄に乗らないで徒歩で二人帰った。

「あの人、将来、お札になりそうな顔してたな」

「昭和紳士って感じ。原稿用紙の人でしょ」

まだ、明るいし、暇があるのでデパートの屋上にのぼった。

四角い缶の灰皿をみつけると、また、たばこに火をつけた。

気がつくと彼女はかき氷を買って食べていた。

子供が100円で動く乗り物であそんでいる。

何かの催し物のビラが地面に落ちている。

雨水でぬれて地面にへばりついているのもある。

「おじさん!100円貸して」

知らない子供がたかってきた。

「え?お母さんにもらって来いよ。おじさん知らないよ。君のこと」

彼女は笑って財布から100円玉を子供に渡した。

「おばちゃん!アリガトー」

2010年の今でこそ、デパートは無駄のないスタイリッシュな作りになっている。

商品の配置も無駄な隙間がなく、インテリアも豪華で高級感ある作りだ。

しかし、この時代、さみしさを感じるような隙間があり、

家具やじゅうたんなどの商品の端に目をやると、

必ず在庫処分前の売れ残りが固まって置いてある。

人通りの多い個所でもハイカラという言葉が似合いそうな安い飾り付けが精いっぱいだ。

しかし、不思議なさみしさと温かさが感じられる。

年をとり、若者ではなくなった今では街が華やかすぎて目がチカチカする。



3 頓服薬



職場に彼女から電話がかかってきた。

自転車に乗っていたら、自動車と接触し骨折したという。

整形外科からかけているらしい。

松葉つえをついている彼女の姿が目に浮かんだ。

声の様子から大事にはいたらなかったのがわかる。

それで思わず、「ふーん。大丈夫?」と言った。

なんとなく他人事のように感じて、頭で違うことを考えそうになった。

受話器から笑い声が聞こえてきた。

「ふふふ…あんまり心配していないよね」

「あー、帰りにそっちによるよ」

定時に業務を終えると、まっすぐに彼女のアパートによった。

想像と違ったのは松葉つえが予想より華奢だったことだった。

「次の火曜日にまた病院だって」

「頓服?痛み止め?痛むの?」

あれから30年程経った今でも覚えている。

台所の蛍光灯がブーンと静かにうなり声をあげ、光っていた光景を。

彼女の顔は今ではもう思い出せない。

おぼろげな笑顔を思い出すのがやっとだ。

一人暮らしで今まで生きてきたが、最近になって初めて彼女が気の毒な気がした。

彼女はこの3ヶ月後、今度は骨折では済まず交通事故で亡くなった。







4 書店


それから、何週間後だったか、

彼女のアパートに寄ったとき、管理人の息子がからかってきた。

「おじさん、なんで彼女と一緒に暮さないのかよ。

オレ、知ってるんだぞ。

いつか別れるつもりなんだろ」

管理人一家は一階の二部屋を占領し、自宅としているらしい。

小学生の坊主は自転車に乗り、電子ブザーのスイッチを鳴らしまくった。

「やかましい!この、くそ坊主!おじさんをからかうな!」

ギヤを高速にチェンジし、もうスピードで走り去っていった。

「なに、子供相手にムキになって怒っているの?

ギブスが取れた彼女は笑いながら階段から下りてきた。

バスに乗り町に行く。

書店で本を選んだ。

『ラジオ恐怖小説全集』を立ち読みしたが、買うのはやめておいた。

420円になります」

レジで支払いをし、書店を出ると、彼女は買った本を見せた。

「夏目漱石の『彼岸過迄』」

「こんな難しそうな本読むのかよ」

「これ、みて、作者の写真。あの時の喫茶店でみた原稿用紙のお爺さんにそっくりでしょ」

「ホントだ。あの爺さん出版してたのかよ」

「違うわよ、明治の人よ。でも似てる。またいるかどうか行ってみましょうよ」

喫茶店にはいると、髭のお爺さんはいなかった。

昼食時だったが、食欲がなく、コーヒーを注文した。

彼女はクリームソーダを飲んだ。



5 真夏日和


真夏日和。

あまりに暑いので水浴びでもしたいと考えて歩いていた。

そのとき予想もしないことに顔に水がかかった。

「ぶっ!!」

「涼しいだろ、おじさん」

例のガキンチョが緑色の水鉄砲で遊んでいた。

「おじさんをからかうとおこずかいあげないぞ」

500円くれたら、お姉さんの秘密を教えるよ。約束するよ」

「お姉さんの秘密?」

財布から500円玉をだしてガキンチョにわたした。

「ここだけの情報だけどな。あのお姉さん他に男がいるぜ」

「誰だよそれ、もう200円やるから教えてくれ。な」

300円に負けとく」

「ホラ、300円」

「ウソーン。いねえよそんなやつーゲヒヒヒヒ」

また、自転車に乗るとギヤを変え、猛スピードで逃げていった。

「ギヤチェンジが速い小僧だ。まったく。おおーい、交通事故にあうなよ」

どんどん遠ざかるガキに声をかけと

「おじさんも達者でなー!!」

と、小学生とはいえ侮れない言葉がドップラー現象となって聞こえてきた。









6 かき氷



「なんだよ、こりずにまた来たのかよ」

「もうだまされないぞ坊主」

彼女のアパートにはいると、台所で彼女は箱からなにかとりだしていった。

「あんまり暑いんで買っちゃった。キョトちゃん」

「キョトちゃん?」

「かき氷を作る機械。氷をいれてハンドルを回すと、かき氷ができるの」

彼女は冷蔵庫から製氷皿をとりだし、水道の水をかけた。

パキッパキッと音をたて、氷が割れる。

≪キョトちゃん≫に氷を入れ、ハンドルを回し始めた。

ギョリ、ギョリ、ギョリ

窓辺で風鈴が鳴る

彼女がこの前に買ってきた『彼岸過迄』をめくっていると、

「シロップ何にする?メロンとイチゴ買ってきてあるけど」と声がした。

「カルピス」

確か、あのとき彼女はこういった。

「たばこ止めたの?」

「止めた。とうとう値上がりしたし」










7 葬式


彼女が交通事故で亡くなった。

通夜の夜、管理人の息子はわんわん泣いていた。

管理人の息子が自転車で暴走していたとき、車にはねられそうになった。

彼女は助けようとして即死した。

管理人の息子は無傷だった。

葬式のときも実感がわかず、他人の葬式に参加しているような気分だった。

「葬式なんて慣れないから疲れたよ」

帰ったら、彼女にそう言おうと思って、これは彼女の葬式だったんだ、と思い出した。